あっちゃんの卒業発表

あっちゃんがSSAで卒業を発表した。まず頭に浮かんだのは「うん、そうだよな…」ってこと。昨年の第3回選抜総選挙の鬼気迫る慟哭やドキュメンタリー映画第2弾の西武ドームでの過呼吸、今年の3月11日の震災から1周年のライブの途中退場も不安な影を落としていた。彼女の精神や身体を傷つけてまで、アイドル業を続けるべきじゃない。まして彼女個人の夢はAKBの先にあるのだから…

っていう考えと同時に自分に襲い掛かってきたモヤモヤした気持ち。きっといつか来る大きな変化が、ついにやってくると感じて重い気分になった。あっちゃんがいなくなることを考えると現れる空白のイメージがあまりにも大きい。彼女の歌や彼女がセンターに立って踊るAKBが見られなくなんて。あっちゃんがセンターにいないと頭の中でイメージしてるAKBとしての均整が崩れてしまう。いつからAKBにそんな美意識を求めてたんだろうか。

昨年のドキュメンタリー映画第2弾では、あっちゃん、優子をはじめ、多くのメンバーが被災地支援活動を通して歌を届けることの社会的な意義を実感していることが伺えるコメントをしていた。あの映画は運営やファンによって精神的にも身体的にも傷つけられる環境にいるAKBが、それでもAKBでいつづける意味が描かれていると個人的には思っていて、その大きな意味とは、被災した人、困難な状況にある人を笑顔にすることなのだろうと思う。ドキュメンタリー映画第1弾では卒業を多くのメンバーが卒業について語っていたが、第2弾では各メンバーが、「今、自分がアイドルであることの尊さ、そして少しでも自分にできることを」といったところに焦点が置かれていたと感じる(勿論、作り手が第1弾の映画のコンセプトとして卒業についての言及、第2弾では支援活動への言及を求めていたのが大きいのだけれども)。折にふれたかみなが口に出す「私たちに何ができるのか」ということばに対して支援活動に参加しているほとんどのメンバーが「自分の夢と並行して少しでもAKBとして人々に笑顔を届ける」というような考えを持ったのではないかと思う。
 だから、なんとなくだけど、AKBはこのまま変わらずに続いていく…なんてことを考えていた。後継とか、AKBの未来とか、いいから、今、そこにいる人を元気付けることを喜びとして、みんなで一緒にいろんなことを乗り越えて行くんだと思っていた。

その矢先の、あっちゃんの卒業発表。

AKBとしての夢、東京ドームまで導いたこと、20歳の夢にむけて歩みだすため、彼女自身のメンタルや身体への配慮。前述したとおり、ここで辞めるのはあまりにも正しいと思う。しかし、インタビューからAKBを続けていきたいという強い思いが見えたメンバーにとってあっちゃんの決断はいろんな思いや考えを呼び起こすものだろう。

あっちゃんがAKBを辞めるもっとも大きな理由が何なのかはわからないけれど、「後輩のためにも道を作る」ということばも大切なもので、AKBが大好きなあっちゃんは自分が歩んできたAKBがずっと続いてほしいと願っているのだと思う。自分がプレーヤーとして人々の前に立つことはなくても、多くの人が「AKBは素敵なもの」って思ってくれる限り、喜びを届けられるから。AKBがわかりやすく人々に届けているものってとても大きなものだと思うから。きっと、過剰な人気はなくとも、AKBが存在していけば確実に誰かのために何かができるから。
誰が来るかもわからないのに、「AKBが来る!」っていうだけで多くの人々に笑顔を与えられるんだよ、そんなグループを作ったんだよ。それって、すごいことだよ。

「AKBのことを嫌いにならないでほしい」あっちゃんの願いがずっと続きますように。
そして、これからのあっちゃんの夢が叶いますように。
さて、未来を見据えながら、最終ベルが鳴るよ。(違うか)