ドロシーリトルハッピー

 

ドロシーリトルハッピーのるーちゃん、みも、こうみんが7月12日の中野サンプラザでの卒業を発表した。

 

2011年のTIFで初めて知って、見て、僕はそこからそれなりの思いを持ってドロシーを見て来たつもりだ。

 

やむを得ないこと、本当はどうにかできること、胸に秘めた気持ちや思い、物作りの方向性もあるかもしれない、きっと様々な事情があるだろう。それは考えると切りがない。とにかく5人のドロシーが終わってしまうこと、それが哀しい。

 

ただの盲目なオタクの戯言だけれども、これまでドロシーの持ってる特別なもの、美しさみたいなものはあの5人でなければだめなんだ。誰一人かけてもだめなんだよ。僕は本当に、生きて来てドロシーに会うことができたことが誇りだ。香港でドロシーを見たとき、彼女たちがまったく知らない場所に連れて来てくれた、この場にいられることは、大げさな話だけど自分の人生間違ってなかったんじゃないかって思えたんだよ。

 

初めてドロシーを見た2011年のTIF、「Hi so jump!」から何かがひっかかって、まだオレモーがまばらに聞こえるちょっとした苦笑いと、いい曲だって感嘆の思いが混ざり合った「デモサヨナラ」、仙台のページェントの下を自転車で走る”ここではないどこか”へ誘われた「Winter blossom~冬の桜」、動画で見た「見ていてエンジェル」の宵の叙情的な雰囲気、駆け上がった丘のイメージ、「ソウル17」「ドロシーの世界一周夏物語」の漢気とキュートさが融合したロックの楽しさ。

ものすごくキレのよいダンス、既に情感が伝わってくる表現、本当に本当に、僕にとっては衝撃的な出会いだった。そのときはアイドルを見に地方に行くという考え自体がなくて、次に関東に来るのを心待ちにしていた。今もそうだけど、本当に毎日ドロシーのことを考えていた。

 

ドロシーと出会った翌月、2011年9月に母が病気で亡くなった。子供のころから、母親の期待に応えよう、褒められようと思って生きて来た。母親の教育方針とかではなくて、子供のころの環境や出来事がそうさせたのだと思う。母親との関係は何を差し置いても僕の最大のテーマだった。大学をで社会人になり、僕は、長いこと病気と闘って来た母がもう長くないことを頭の中で理解しながらも、人との関係への真摯な姿勢とか、夢や目標を持って生きることかが難しくて、殻をやぶれない自分が申し訳なくて、母がいなくなる現実を直視できなくて、母に何を言えばいいかわからなくなっていた。言葉が胸につかえてしまって、ほとんどたいした話を母とすることができなかった。感謝の言葉も、本当の意味でいたわった言葉もかけてあげることができなかった。本当に申し訳ない、後悔でいっぱいだ。

 

入院したら家に戻れないことを悟っていた母は、ぎりぎりまで入院を拒んでいた。母が入院することになった翌日に、僕はライブ動画でドロシーのLife goes onを聴いた。彼女たちが震災の復興イベントで歌った新曲Life goes onは、坂本サトルさんが作詞作編曲をした曲。東日本大震災の犠牲者を悼み、これからを強く生きていくことを高らかに歌い上げた曲だ。数日後に母が亡くなったとき、ずっと頭のなかでLife goes onが流れていた。母を見送るための数日、その後もしばらく、何度も何度も頭の中でLife goes onを流れていた。どうにかなってしまいそうな中で、ドロシーの歌で心を落ち着けた。何も考えないときもあったし、襲ってくる様々な情念を受け止めながら、思い出を反芻しながらのときもあった。とにかくLife goes onを頭の中で繰り返し歌った。

 

別に信心深い類いのことではないのだが、とにかく人生の中でとりわけ重く辛い時期を僕はドロシーと一緒に過ごさせてもらった。ドロシーがついていてくれた。本当に感謝をしているんだよ。

そしてドロシーに出会って、ここまで素晴らしいと感じるように産んでくれて育ててくれた母親にも感謝をしている。

 

そんなの自分の中だけの話だから、極めて私的なエピソードをわざわざこのタイミングでブログに書くことではないのかもしれない。でも5人のドロシーの時に持ってた思いを忘れたくなくて、勢いで今日、書いてしまった。

 

そこから、いままでドロシーと過ごしてきた物語がある。「HAPPY DAYS!」~「飛びサマ」の時の体制の変更でどんな思いをしながら彼女らを見て来たか、「風よはやく」の予感 「GET YOU」のサトルさん帰還 「Life goes on」の喜び 「colorful life」での熱い思い 「STARTING OVER」の作品性、「circle of the world」で見せた高みと新たな可能性。

まだ振り返るようなタイミングじゃないけれど、しんどいときも幸せなときも。

ビジネスの要素が大きいメジャーなエンターテイメントの世界でこんなにも熱い気持ち、奇跡のように感じる瞬間をくれた。

 

やはり、この5人の物語が終わってしまうのは、辛い。こんなに期待感でいっぱいのところで終わるなんて、傑作と呼ばれる青春映画だけでいい。

 

もちろんね、佳奈ちゃんと麻里ちゃんの2人で続いていくドロシーは精神的な部分でいままでのドロシーのままだ。誰か一人でもあの5人のうちドロシーの歌を歌うなら、ついていくし、次の作品を楽しみにするよ。

もちろん気持ちの問題、距離の問題でてくるだろうけど、はいそうですか、で切れるようなそんな関係性でもないし、思いでもない。とりわけドロシーを作り上げて来た佳奈ちゃんとドロシー歌を引っ張ってきた麻里ちゃんだ。

 

callmeの3人も一緒だ。理想論かもしれないけど、るーちゃん、みも、こうみん、彼女らの歩みをスパっと見なくなることができる関係だと思ってない。3人を信頼している。それにやってることが良すぎるんだ、好きすぎるのが最低だ。まだ発展途上だけど、めちゃめちゃすごいと僕は思う。都合が良すぎるかもしれないけど、callme大好きなんだよ。本当に素晴らしい。

 

そして、2人が残り3人が抜けてしまう嘘みたいな本当の話があるならね、また5人で見られる本当の話だってあるかもしれない。待つだけだ。

本当に普段コンテンツのことばかり追っかけてるから都合がいい考えだ。

 

まだ、詳細はよくわからないけど、今の時点での気持ちだ。

頼むから5人全員に本当に幸せな未来を。